No. 2009-008 | ||
乳がん術前乳腺 MRI 検査を推し進めよう一橋大学 国際・公共政策大学院 公共経済プログラム 中川千鶴子 新規年間乳がん患者数が、図1に示すように年を経るごとに増加している。今や乳がんは女性(男性にもごく僅かに存在はするが)にとっては天敵ともいえる疾患となりつつある。 この乳がんに対抗するためには、当然のことながら早期発見に努めること、しかも高い精度をもって発見することが重要であり、さらに、発見されたがんを完全に除去し、再発を防ぐことが重要となる。
これらの研究結果により、乳腺 MRI 検査の医学的有用性が認められてきたところである。日本乳癌学会編集の診療ガイドラインについての2008年版では、乳がん術前乳腺 MRI 検査実施を推奨グレードC(日常診療で実践することは推奨しない)から、B(日常診療で実践するように推奨)に昇格させるに至った。また、厚生労働省は、全国のがん診療連携拠点病院の大半に乳がん検査用の MRI 装置を2008年度から2年間かけて整備することを決定し「乳がん検査用マンモコイルの緊急整備事業」として約8億7000万円、予算を計上し、執行中である。コイルの新規購入や最新機種への更新の際に半額を補助するとしている。 このような認識にもかかわらず、乳がん術前 MRI 検査の全国普及は遅れている。その理由として、(1) 乳腺外科医が病院に存在しない、或は、(2) 乳腺外科医の関心が乏しい、(3) 乳腺コイルを用いた MRI ではなく仰臥位造影のCTで代用している、または、(4) 検査枠を取りにくいという点が挙げられている(資料)。(1) および (2) の原因を解消していかなければならないが、この点への言及は本稿の目的でなく、別途の検討をまちたい。(3) および (4)についての最も大きな問題点は経済学的側面にあると考えられる。そこで、これらの問題も含めて、乳腺 MRI 検査の経済学的検討を行うこととした。 検討にあたっては、個々の病院における経済的側面ではなく、社会全体として、乳腺 MRI 検査を実施することにより社会的便益が生じるかどうかをみることを目的とし、その分析方法として費用便益分析を用いた。病院における既存の MRI 装置を使用して、乳がん術前診断のため、乳腺 MRI 検査を1回することによって、社会全体の純便益がプラスとなるのかマイナスとなるのかをみるのである。純便益は社会全体の「便益-費用」として算出される。社会的純便益がプラスとなれば、経済学的にも乳腺 MRI 検査の普及を推し進めることに、ゴー・サインが出たことになる。 今回の分析の内容は、乳がん患者に対して通常行われるX線マンモグラフィ及び超音波による検査に加えて、乳腺 MRI 検査を実施することによる費用便益分析である。即ち MRI 検査を加えることによる費用増と追加手術が減少することによる便益増を比較するものである。患者の便益としては、「患者の支払意思額(Willingness to Pay: WTP )」を充てることとし、この WTP を算出するために、聖路加国際病院で2008年9月及び10月にブレストセンターの患者さんを対象にアンケート調査をさせて頂き、125人分の統計分析を行った。 アンケートの内容は、「乳腺 MRI 検査に10割の自己負担で、いくら支払いますか」と問うたものである(図3参照、アンケート作成方法については、consulting report 参照)。 WTP の中には、安心感や、追加手術の確率が削減されることによる費用負担(手術費用や機会費用〈時間というコスト〉や交通費)の軽減等からくる、支払意思額が含まれる。アンケートを統計分析(注3)した結果、 WTP は121,756円と算出された。 出所)筆者作成。 この121,756円という推計値を使用して費用便益分析を行ったのが表1(注4)(注5)(注6)(注7)である。この結果、純便益は約91,408円となった。即ち、乳腺 MRI 検査を1件実施する毎に、社会全体としては、9万円を超える便益が生じるとの試算がなされたのであり、経済学的にも社会として、乳腺 MRI 検査普及を進めることの妥当性が検証されたといえるであろう(費用便益分析については、田原梨絵、中村清吾、角田博子、中川千鶴子(2009)「乳腺診療におけるMRIの医療経済効果」『映像情報メディカル』2009年3月号, pp.266-270.参照)。 出所)筆者作成。 しかし、問題がある。乳腺 MRI 検査に充分な性能を有する高額な MRI 装置は、クリニックや普通の病院では、高額すぎてもつことが難しいのである。調査したところ、実際、多くの乳がん手術件数のあるクリニックでも、もってはいないところが多い。中には病院でも、もってはいないところもある。そこで、「共同利用」が考えられる。まず、 MRI 装置のある各施設の「検査枠の空き情報を流すこと」から始めるのが現実的な第一歩であろう。 しかしながら、本腰を入れて乳腺 MRI 検査を普及させるためには、高性能の MRI 装置を保有し乳がん診断に実績のある特定のがん診療連携拠点病院に集中的に補助金を付けることを提言したい。その特定の拠点病院には、近隣地域における要検査数をカバーしうる十分な MRI 装置数を確保しなければならず、それによって生じる赤字分は公的資金によって、補填する必要がある。先に述べた費用便益分析でも、社会全体として1件当り9万円超の便益があるのであるから、その範囲内であれば、補助金を支出しても十分もとはとれるというものである。現行の MRI 1件あたりの診療報酬額が30,606円であることを考慮すれば、この額は十分に大きく乳腺 MRI 検査の普及に貢献しよう。 まとめると、政策提案として、(1) 経済学的にみても、乳がん術前乳腺 MRI 検査の普及を進めるべきである。 (2) その普及を進めるために、特定の拠点病院に対して、集中的な補助金を支給すべきである、といえるであろう。
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