PEP
No. 2010-003

中国進出日系企業の労働CSRに関するリスク

一橋大学 国際・公共政策大学院 公共経済プログラム 王小凡


 2007年12月19日午後11時、中国深圳のある日系の大手企業の約二千人の女性従業員によるストライキが発生した。ストライキは長時間の勤務と残業手当が少ないことに抗議したものであった。
 該当会社の勤務はそれまで三交替制(8時間交替)であったが、フィリピン、タイなどにある同じ製品を生産する日系企業の倒産が相次いだことにより、生産がその会社に集中した。生産量が大幅増大したが、従業員の人数は現状維持で、納品期限を守るために二交替制(12時間交替)に移行した。このようなことで週勤務時間20時間増加したにもかかわらず、月に残業手当はわずか数十元、多い人は百元しか支給されなかった。この程度の手当は深圳では生活必要品さえ購入できなく、やむを得ずストライキを起こしたという。
 そして、二交替制実施した後の長時間労働はすべて立ち作業であるため、耐えられない女性従業員が気を失って倒れたこともある。さらに、残業手当の高い週末に残業をしたが、平日に代休を取らされ、残業なしとなってしまうこともあった。
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 このストライキに関わっている労働者のほとんどは内陸地域からの出稼ぎ労働者である。出稼ぎ労働者の存在が世界の工場としての安価な労働力を実現してきたのは事実であると考えられるが、その労働環境は決して良好なものとは言えず、むしろ劣悪と言うべき状況である。特に、製造業においては低賃金、長時間労働、粉塵まみれの作業場など、劣悪な労働環境が問題視されている。中国に進出している多くの日系企業も上述した問題に直面していることが考えられる。

 他方、近年、中国では企業の社会的責任(CSR)は非常に大きな関心事となっている。さらに、2008年1月1日より「中華人民共和国労働合同法」(「労働契約法)」が施行され、労働者保護の姿勢を強く打ち出している。このような状況の中で、労働CSRをきちんと取り組んでいない日系企業は、「調和社会」を構築しようとしている中国社会では大きなCSRリスクと抱えることになる。

中国における日系企業の労働CSR問題の背景

 対中進出の外資系企業の間に、かなりの人気度の差が存在している。欧米企業と比べると、日本企業の人気度が劣っていることが多くの調査結果によって示されている。図表1は2009年1月の日経ビジネスの記事で、中国300人に就職について意識調査を行った結果である。日系企業で働くことについて魅力を感じるかどうかを聞いたところ、「魅力を感じる」と答えたのは36.3%であった。この結果は欧米企業の半分にも及ばず、中国の国営企業と民間企業のいずれよりも低かった。また、同記事では「日本の製品や文化について好意的な見方は少なくないが、職場のイメージは悪い」と記述されている。

 さらに、「欧米企業と比べて日系企業に対する一般的なイメージ」について質問したところ、「非常に良い」は2.3%、「まあ良い」は15.7%に過ぎない。この意識調査から日系企業の中国での就職先としての人気の無さが読み取れる。これはあくまでも一般の中国人のイメージであるが、実際に日系企業で働いたことのある人はどう思っているか。

図表1:意識調査‐企業で働くことについて魅力を感じますか?(対象:300人)


 FESCO(北京外企人力資源服務上海有限公司)の調査によると、日系企業で働く中国人スタッフの離職率(2005年末時点)は欧米企業に比べて2倍以上高い。外資系企業の離職率(過去1年間で離職した労働者の比率)は平均14%であり、日系企業では15.1%、欧米企業では6.3%である。日系企業の離職率が欧米企業より高い理由について、FESCOは現地化が進んでいないこと、日本人の駐在員はほとんど3〜4年で転勤するために中国人スタッフと新しい上司とのコミュニケーションがうまくいかないこと、給与水準の差が大きいことと分析している。このような高い離職率を抱えている日系企業にとって、優秀人材の安定的な確保ができないことは問題である。

 日系企業自身もこの問題の深刻さを意識している。日中投資促進機構の「第8次日系企業アンケート調査集計・分析結果(2005年3月)」(注1)によれば日系企業が中国における事業活動で問題であると認識していることは、「人事・労務管理」が1位となっている。  労働市場における過剰供給が続いている中国であるが、優秀な人材が不足しているため、日系企業にとって現地での人材確保が大きな問題であるとうかがえる。世界各国の企業が急速な経済成長を続ける中国に進出し、中国市場を巡って激しい競争が繰り広げられている。競争に勝ち抜き、シェアを拡大させるポイントの一つは人材の確保に関わる問題であり、現地のマーケットを熟知し、高度な知識やスキルを身につけた優秀な人材を引き付け、活躍の場を与え、大きな成果をあげてもらえるような人材マネジメントが必要であろう。しかし、日系企業は労働者管理において多くの問題に直面していることが複数の調査で示されている。

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 なぜ日系企業はこのような問題を抱えているか、各企業のCSR報告書に記載している内容から探ってみることにする。CSR報告書に記述がないといっても、その企業が取り組んでいないとは言い切れない。CSR報告書だけで企業のCSR取組みを比較するのは不十分であるが、CSRの企業経営における重視度の違いや情報公開の度合いなどを読み取ることができる。

 以下では日米中企業4社ずつ(注2)のCSR報告書の労働に関する記述を取り出し、図表2にまとめ、比較を行いたい。取り組み項目については労働CSRを論じる際によく取り上げられるコンプライアンス面の3項目(注4)と裁量領域の10項目(注5)を比較対象項目にし、採点を行った(注5)

 
図表2:日米中企業CSR報告書の比較


 図表2から算出されるように、米国企業4社の平均点は61.51、日系企業は39.49、中国企業は72.4点となり、日系企業は最下位であるだけではなく、得点ははるかに低い。また、日本企業の報告書はコンプライアンスについての記述はほとんどなかったことが目立ち、安全衛生、教育訓練、福利厚生に重点を置いていることが読み取れる。コンプライアンスはCSRの基本であり、特に労働争議が頻発している中国では最も重要な位置にある。それゆえ、労働CSRを取り組む際だけではなく、CSR報告書においてもしっかりコンプライアンスという土台を作る必要があるではなかろうか。

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 日系企業は中国進出の目的を「廉価なコスト」から「市場開拓」に変化しつつあるにも関わらず、労働CSRの取組みが進んでいない、もしくは取り組んでいるが情報公開が不十分な状況にある。これは日系企業の中国における経営の問題に大きく関連しており、日系企業の労働CSRをめぐるリスクの存在を示している。日系企業は中国で持続的な成長を達成するために労働CSRを経営の一つの重要な課題として取り上げる必要がある。中国進出日系企業の労働CSRについて調査した中で、日系企業の経営体制上の問題も見えてきた。それも合わせて、日系企業への提言を試みる。

中国における経営の問題点を改善する

(1) 人の現地化

 鬼塚(2004)(注7)によると中国現地において、欧米企業の最高責任者の76.9%が現地の中国人であることに対して、日系企業は28.6%にとどまっている。また、日系企業においては、中国側の代表者が形式的には最高責任者であるが、日本本社からの派遣者が実質的な権限を持っている場合もあると指摘されている。日系企業は今後、中国を新たなビジネスチャンスを生み出す場であると位置づけするのであれば、現地の状況を熟知している人材にもっと権限を持たせることが不可欠である。日系企業の駐在員が3〜4年で交代し、権限を持つ人は常に現地の状況に慣れないままでは、ローカル経営に馴染むことは非常に困難である。権限委譲を進めることで本社と現地企業のコミュニケーションがスムーズになり、現地に適する経営戦略や人員配置が実現しやすくなる。また、現地人材への権限委譲はモチベーションの向上にもつながり、優秀な人材の流出も防ぐことができる。

(2) 現地駐在員を減らす

 日系企業の駐在員の多さと人件費の高さも深刻な問題になっている。中国に駐在する会社員の年収レベルが非常に高い。それに加えて、高級住宅の賃貸料金や渡航費、家族手当などを考えると、日本人に駐在員にかかるコストは実に高いものである。仮に、駐在員を10人減らせば、中国人ワーカーが約2000人雇用できると言われている。したがって、現地駐在員の数を減らし、その費用を現地労働者の報酬および福利厚生に当てれば、企業の負担が増えずに日系企業の人気上昇のメリットも生まれるのであろう。

(3) 本社機能の充実

 筆者の電話による聞き取り調査では、日系企業の中国に置く地域統括会社はきちんと統括機能を発揮していないことがわかった。また、企業の知名度と影響力については、中国における日系企業のブランド認知度が欧米系企業に比べて低い傾向にあるとしばしば言われる。その理由としては、日系企業が社会貢献活動などに関するPRをあまり重視しない傾向にあるため、企業の顔が見えにくいことと、各事業会社の活動を統括会社で統一できていないため、中国国内で目指しているコポーレート・ブランドのイメージが明確でないことが挙げられる。今後は日本にある本社は地域統括会社を介し、中国における経営状況の把握および問題の解決を主導する必要がある。たとえば、本社がCSR情報の公開を指示し、そのチェックを定期的に行われば、CSRの取組みは速く浸透するであろう。

労働CSR関連のリスクに危機感を持つ

 低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境、労働者の経営参加の無機会などの問題は日系企業の労働CSRから見た問題である。これらを長く放置すれば、労働者の離職、労働災害の増大、生産性の低下をもたらす。また、市場経済の浸透により、労働者の権利意識が強くなり、仕事に対する考え方も変わってきている。労働争議が頻発すれば訴訟費や罰金が跳ね上がり、かえってコストを増大させることになる。さらに、労働者保護の姿勢が強くなった中国政府からの制裁を課される事態に発展すると企業イメージが損害され、中国市場を失う恐れがある。また、NGOからの批判を浴びた場合、他の国の市場においても同様の影響を受けることは避けられない。日系企業は自社の労働CSRに関するリスクを十分に認識し、改善することが急務となっている。

自社に合った労働CSRを取り組む

 中国に進出している日系企業の中で積極的に労働CSRを取り組んでいる企業もあれば、コンプライアンスさえ守っていないためストライキが起きている企業もあり、パフォーマンスに非常に大きなバラつきがあるとわかる。このような状況から各企業は自社に合った労働CSRを取り組む必要がある。コンプライアンスさえきちんと取り組んでない企業は、コンプライアンスを基礎から取り組む必要がある。それが全社に効果的に組み込まれ、日常的に実践されなければ効果を発揮しないことに注意を払うべきである。一方、積極的に労働CSRを取り組んでいる企業はコンプライアンスを強化していくと同時に戦略的思考を持ち、労働CSRというテーマを取り組むべきである。また、多くの規格・ガイドラインが存在している中で、必要性が高く、将来の企業価値向上に寄与する項目に重点的に資源を投下するために、自社の労務状況と照らし合わせた上で取り組む優先順位を見極めるなど、柔軟的に対応していくことが必要である。

労働CSRを戦略として取り組み、情報開示を行う

 企業経営者が進出国先で労働CSRを実践しようとする際には、最低限行わなければならないことだけに取り組もうとすることが一般的である。しかし、労動CSRへの取組みの本来の目的は企業の成長を支える優秀な人材の確保や企業価値の向上といったより高次元の目的を達成することに置かれるべきである。もちろん、中国に進出しているすべての日本企業が最低限の取り組みを行うのであれば、労働争議などの不祥事を避けることができる。しかし、これだけでは企業の将来における競争力の強化には結び付かないため、各企業が独自の戦略を打ち立てる必要がある。

 また、労働CSRを含む報告書の発行やホームページでの取り組みの紹介も効果的である。外資系企業による報告書の発行は、先進事例としてマスコミで取り上げられる場合もあり、積極的な情報開示は株式市場においても評価されるメリットがある。このように、報告書の作成という低いコストで、自社の取組みのチェックおよびアピールという一石二鳥の効果がある。

(注1)
「米国企業の対中国経営戦略~日系企業の飛躍に向けて~」9頁図表2
(注2)
調査時点:2003年12月、調査回答企業数:379社
(注3)
日系企業の比較対象の数が限られているため、それらの企業規模(資本金、従業員数など)と近い、米国企業、中国企業をそれぞれ4社ずつ選出した。
(注4)
強制労働、児童労働、差別禁止の3項目。
(注5)
労働契約、労働組合、賃金・報酬、労働時間、安全衛生、教育訓練、福利厚生、ダイバーシティ、ワークライフ・バランス、コミュニケーションの10項目。
(注6)
採点基準については、該当項目について詳しい記述がある場合(取組み方法を明記)は5点、項目について記述がある場合(取り組み方法を明記しない)は3点、記述していない場合は0点とする。また、合計の65点を100点満点に換算したのは各企業の「得点」とする。
(注7)
鬼塚義弘(2004)「中国進出企業の経営比較」『国際貿易と投資』Winter2004, No.58