OUR GOAL

 本プロジェクトでは、リスク、ネットワーク、デモクラシーの相互関係を解明することを目的とします。持続可能性を脅かす問題の多くが、これら3つの要素と深く関わっており、その解明は大きな現代的意義を持つと考えています。 
 本研究の基本的なツールとなる経済学では、リスクに関しては不確実性の理論、デモクラシー(民主主義的政治制度)に関しては、公共選択の理論や社会選択の理論などで分析が行われてきました。また、ネットワークに関しては、経済主体の間の戦略的関係性を分析するゲーム理論を用いた分析が行われてきました。
 また、(1) リスクとネットワーク、(2) リスクとデモクラシー(政治制度)、(3) ネットワークとデモクラシー(政治制度)、という3つの関係性に関する研究も、それぞれ少しずつ行われてきました。
 
 まず、(1)「リスクとネットワーク」の関係性に関しては、経済学では、例えば、企業の下請け等のネットワークが、自然災害等に関わるリスクを軽減する効果を持つといった研究がある一方で、金融システムというネットワークが、金融取引に関わるリスクを増大させる可能性もあることが分析されてきました。さらに、家族やコミュニティといった「ネットワーク」が、日常生活におけるショックに対してどのように対応してきたかを明らかにした上で、望ましい政策・制度のあり方を分析するというアプローチが、ゲーム理論の枠組みを用いて行われてきました(山重 2013)。また、近年は、ネットワークの構造に注目するグラフ理論やゲーム理論を用いて、リスクとネットワークの関係性についての分析も行われるようになっています(Jackson 2008)。

 (2)「リスクと政治制度」の関係性に関しては、社会選択理論において、不確実性の下での社会選択に関する研究が古くから存在しています。私たちが、生まれる前のように「無知のヴェール」に包まれ、生後のリスクについて知らない中で意思決定をしなければならないとするならば、功利主義的社会厚生を最大化するような社会選択を行う可能性(Harsanyi 1955)、あるいはマキシミン原理を満たすような社会選択が行われる可能性(Rawls 1971)があることが議論されてきました。 また、大規模低頻度のリスクに関しては、民間の保険会社では対応できないため、長期間存続する、そして他国との協調が行いやすいという特性をもつ政府が、世代間リスクシェアリング(intergenrational risk-sharing)や国際的リスクシェアリング(international risk-sharing)を行うべきであるといった分析が行われています (Shiller 1999) 。さらに、 多数決制や全員一致制などの民主主義的社会選択ルールの下で、どのような社会状態が実現するかを分析するモデルに基づいて、リスクへの対応という観点から、民主主義的政治制度の評価を行ったり、望ましい政治体制のあり方に関する分析を行ったりすることなども可能であると考えられます。

 (3)「ネットワークと政治制度」の関係性については、Putnam(1993)のソーシャルキャピタルと政治のパフォーパンスに関する萌芽的研究が重要です。ソーシャルキャピタルとは、人々の信頼に基づくネットワークを指し、日本語では「社会関係資本」と呼ばれています。Putnam らは、ソーシャルキャピタルが豊かな地域ほど、政治のパフォーマンスが高いことをイタリアの事例研究に基づいて示しました。 このソーシャル・キャピタルについては、経済学でも様々な研究が行われてきました(例えば、Dasgupta and Serageldin (2000) など)。しかし、民主主義的政治制度との関連で、ソーシャル・キャピタルを考察した経済学的分析は、ほとんど存在しません。 利益団体をネットワークとみなせば、経済学(公共選択理論)でも、ネットワークと政治体制との関係性に関する分析が行われてきたと考えられます。しかし、そこでは民主主義的政治制度は前提とされ、そもそも民主主義的政治制度が望ましいかについての議論は十分行われていません。公共選択や社会選択の理論では、いずれもゲーム理論が基礎的な分析道具となっており、ネットワークと政治制度(デモクラシー)の関係性を、ゲーム理論を用いて分析することは可能であり、有望な研究領域になると考えられます。  
 
 このように、リスク、ネットワーク、デモクラシーという3つの要素に関しては、それぞれの要素に関する研究は数多く存在します。2つの要素間の関係性に関する分析は、いくつかの研究が存在しますが、まだまだ研究の余地が残されていると考えられます。さらに、3つの要素の関係性を包括的・明示的に分析した理論的研究は、私たちの知る範囲では存在していないと思います。
 社会の持続可能性を脅かすリスクに対して、ネットワークという社会制度とデモクラシーという政治制度がどのように対応するのかを、その相互依存関係に注目しながら明らかにし、社会経済の持続可能性を高めるための望ましい制度設計のあり方に関する洞察を得ることが、本プロジェクトの最終的な目標です。 
 

OUR APPROACH

 このような既存の研究の状況を踏まえると、2つの要素間の関係性に関する研究(例:リスクとネットワーク)に、欠けている3つ目の要素(例:政治制度)を加えて分析・考察することで、3つの要素の関係性に関する分析が可能になることがわかります。また、そのようなアプローチを通じて、2つの要素間の関係性に関する研究(リスクと政治制度、ネットワークと政治制度)が豊かになっていくことが期待されます。
 本プロジェクトでは、まずは、このようなアプローチを通じて、リスク、ネットワーク、デモクラシーの相互関係に関する研究を行っていきます。そのような研究の蓄積を通じて、そして、社会の持続可能性を脅かすような「災害リスク」、「経済リスク」、「紛争リスク」という3つのリスクへの社会的対応のあり方に関する応用研究を通じて、これまでにない新しい次元の研究を生み出すことを目指します。
 本研究では、不確実性の理論、ゲーム理論、公共選択理論、社会選択理論などの経済理論をベースに、リスク、ネットワーク、デモクラシーの相互関係を明らかにすることを試みますが、新しい研究・パラダイムの創出という観点からは、経済学のみならず、他の研究領域の知見を取り入れることが重要です。
 そのような観点から、学際的な研究が可能な国際・公共政策大学院は、理想的な環境にあります。多様な専門領域や実務経験を持つ本プロジェクトの共同研究者が、経済学、公法学、比較政治学、国際関係論の分野における理論的研究も取り入れながら、そして、社会が直面している様々な課題への応用を試みながら、既存の研究には存在しない新たな理論モデルの構築・分析を行うことを目指します。言うまでもなく、そのような分析は、経済学、公法学、比較政治学、国際関係論のそれぞれにおける理論的研究に大きな刺激を与えることになると考えられます。
 本プロジェクトでは、基礎研究の発展は、応用研究での事例分析の蓄積とともに進められていくことになります。なお、本プロジェクトでは、ネットワークとしては主に個人や組織や国家のネットワークを想定しますが、同じようなネットワーク理論を応用できるモノやカネや情報のネットワーク等についても、分析の対象としたいと考えています。 
 例えば「災害リスク」では、自然災害への事前・事後の望ましい対応を考える上で、地域のコミュニティや事業者などのネットワークによる対応と民主的・非民主的政府による対応の関係性を分析してみることは、重要な研究と考えられます。また、地球温暖化問題に起因する災害リスクに関しては、国家間のネットワークが重要になりますが、その際に、それぞれの国家の政治体制が民主的であるか否かが、重要な要因になるのではないかと考えられます。
 一方、「経済リスク」では、少子化に起因する人口減少・高齢化が日本経済の持続可能性を大きく脅かすリスクとなっていることに注目するならば、そのようなリスクへの対応を十分行えなかった民主主義的な政府と家族やコミュニティによるネットワーの関係性を明らかにすることが、問題の克服のために重要かつ必要な分析と考えられます。また、課題を先送りし、巨額の公的債務を累積し、財政破綻のリスクを高めてきた民主的政治体制(シルバー民主主義)の問題、あるいは、民間の金融取引のネットワークが財政・金融の破綻リスクに与える影響に関する考察は、民主主義社会における意思決定過程や中央銀行に関わる制度に関する新たな視点を提供するのではないかと考えられます。
 「紛争リスク」では、紛争への市民ネットワーク(反政府組織あるいはNGOなど)の対応と民主的・非民主的国家の関係、あるいは、紛争リスクへの国家および国家ネットワークによる対応のあり方を明らかにすることなどが、重要な研究課題と考えられます。また、国家の民主化を進めようとする市民ネットワークの動きが、逆に紛争の火種となり、社会の分断や国際関係悪化のリスクを高める可能性を持つことも、重要な応用研究の事例になると考えられます。さらに、SNSなどの新しいネットワークが、紛争のリスクを高める可能性があることに注目し、情報や言論の制限が求められることも少なくありません。紛争のリスク低下させるために、民主主義の基礎となる「言論の自由」はどの程度制約されることが望ましいのか。リスク、ネットワーク、デモクラシーの相互依存関係を明らかにすることを目的とする本プロジェクトにおいて、解明することが期待される問題の一つです。
 本プロジェクトでは、政府が、リスクへの「1.事前的対応」と「2.事後的対応」を行う主体となると同時に、「3.リスクの発生源」にもなるということは、特に注目したいと思います。さらに、政府がどの程度民主的かは、1〜3に影響を与えるとともに、市民のネットワークとの関係にも影響を与えるということにも注目したいと考えています。
 持続可能性を脅かす様々なリスクへの対応を考えた時に、どのような民主主義社会を構築することが望ましいのか。学際的な基礎研究、そして実践的な応用研究の蓄積を通じて、持続可能な社会を構築するための政策・制度設計のあり方に関する分析・提言を行っていきたいと思います。
 
 

  • Dasgupta, F. and I. Serageldin (2000) Social Capital: A Multifaceted Perspective. The World Bank.
  • Harsanyi, J. C. (1955) “Cardinal Welfare, Individualistic Ethics, and Interpersonal Comparisons of Utility,” Journal of Political Economy, Vol. 63, No. 4, 309-321.
  • Jackson, M. O. (2008) Social and Economic Networks. Princeton University Press.
  • Putnam, R. D. with R. Leonardi and R. Y. Nanetti (1993) Making Democracy Work: Civic Traditions in the Modern Italy. Princeton University Press. (河田潤一[訳]『哲学する民主主義−伝統と改革の市民的構造』NTT出版, 2001年)
  • Rawls, J. (1972) A Theory of Justice. Harvard Univerty Press: Massachusetts.(矢島釣次監訳『正議論』紀伊国屋書店, 1979
  • Shiller, R. J. (1999) “Social Security and Intergenerational, Intragenerational and International Risk Sharing,” Carnegie-Rochester Series in Public Policy 50, 165-204.
  • 山重慎二(2013)『家族と社会の経済分析〜日本社会の変容と政策的対応〜』東京大学出版会